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ゲイの教師が鬱病で休職し、復帰に向けて一歩一歩に全集中。教育/LGBTQ/鬱病/メンタルヘルス/心理学

『主観』という沼

僕はこの一年、自分の考えや生き方に悩みに悩み、ズルズルと精神的な病にハマリ、結果「鬱病」と診断されました。

 

鬱病の症状として「自責」があげられます。これがまた厄介で、自分を責め始めたらなかなか抜け出せない沼のようです。

 

理解のない人は「気の持ちよう」とか、「甘え」とかなんとか言う人もいるそうです。

 

鬱病は、そんな簡単なものではありません。自力では這い上がってこれない沼にのめり込んでいく病です。

 

少し冷静になった頃に

休職から3ヶ月が経ち、ようやく少し冷静さを取り戻しつつあるのかなと思っています。これまで映画や本といったものは、いろいろな感情が邪魔をして病状が悪化しそうだったので、時間がありながらも、あまり触れられずにいました。

 

そろそろ本を読んだり、自分の思考と向き合ったりして、自分の心の在り方を見つめ直してもいいのかなと思っています。

 

『主観』と『客観』を整えよ

とあるメンタル系YouTubeチャンネルで学びました。

 

『主観』と『客観』のズレに悩み続ける。

 

まさに今僕が陥ってるのはこれでした。

 

まずは『主観』

・だれも僕の声を聞いてくれない

・僕は文句ばかり言う厄介ものだ

・自分なんかいない方がマシ

・自分が力不足だ

 

そして『客観』

・仕事が早いね

・向上心があるね

・すごく分かりやすい説明だね

・この仕事に向いているね

・あなたのような考えができる人はなかなかいないよ

 

過去に言われたことのある言葉です。書き並べるだけで十分と言っていいほど贅沢な言葉をいただいていたんだなと思います。

 

しかし僕は、自身のこだわりと業務量に限界を感じ、仕事に行き詰まりました。

それからです。この厄介な鬱々とした『主観』の沼にハマり始めたのは。

 

『主観』という沼にハマり続ける理由探し

鬱々とした状態が続くと『主観』にハマり続けます。「自己執着」と言うこともあるようです。

 

そして次に『主観』を決定的なものとする理由探しを始めます。

 

・僕は、この組織のやり方が気に入らなかったんだ。

・○○さんがこう言ったから僕は調子が悪くなったんだ。

・××さんが思うように動いてくれなくて。

 

まわりの環境の全体ではなく、端々だけをつまみ出して責める。健常な心の人からしたら、嫌なところだけ指摘されて責められるんですから、そりゃうまくいくわけがない。

 

そして、まわりを責めても、結果として自分を責める。結局、自分の力不足なんだ、自分が嫌なことを言い散らかしているだけなんだ、と。僕は、まだこの渦中にいるようです。

 

仮でもいい。『客観』と唱え続けよう

人間、愛されていないことなどないはずです。できたことが何一つないこともないはずです。

 

少し冷静になった頃に、『主観』を一旦横に置いて、『客観』を受け止めてあげてください。

 

僕って愛されていたよな。

 

まずは仮でもいいと思います。少しずつ自分を認めてあげて『主観』と『客観』のズレを整えてあげたいと思います。

 

そう思っていたら、休職前、メンタルがボロボロだった頃、責めてしまった方々に謝りたくなってきました。これまた、大きな壁です。