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ゲイの教師が鬱病で休職し、復帰に向けて一歩一歩に全集中。教育/LGBTQ/鬱病/メンタルヘルス/心理学

スマホを置いて旅に出た

先日夕方、いろいろなことに思考が行き詰まり、自暴自棄になった。

 

人に会うのも疲れた、家族や相方にいい顔するのも疲れた、SNSやネットの情報に疲れた。

 

一人になりたい。

 

そう思ったのが夕方6時半。涙がこぼれ落ち、途方もない感情に陥っていた。

 

近くに住む母にLINEをした。「スマホを置いて遠出してくる。電話番号は控えているから明日には連絡する。」と。

 

現実から目を背ける自分、まるで反抗期のようだった。次第に大粒になる涙を拭いながらカバンに服を詰める。

 

7時には電車に乗っていた。7時42分の新幹線に乗っていた。そこにスマホはない。

 

行き着いた先は広島。駅前を見渡し、東横インの看板が目に入り、チェックインした。

 

次の日は、駅前の案内板を記憶し、平和記念資料館に行った。

 

ここ最近、「死にたい」というか「消えていなくなりたい」ような感情だった。自分なんていない方がいい。

 

そんな自分が平和記念資料館へ行った。「死」について考えた。

 

原爆によって、なんの罪もない人たちが無差別に殺された悲惨な出来事を目の当たりにし、たくさん涙を流した。

 

原爆の熱風を浴び、全身に火傷を負いながら帰宅した中学生。涙する母。痛く辛い状況でも、母を安心させようと笑顔を見せる中学生。

 

生きるということ。死ぬということ。たくさん考えた。

 

慰霊碑に手を合わせた後、原爆ドームを横目に駅へ戻った。

 

駅前の美容院に入り、髪を切った。駅中でつけ麺を食べた。そして帰路に着いた。

 

本当は、5日、いや一週間は遠出しようかと思っていた。しかし、ここで少し気持ちが落ち着いた。

 

スマホを置いて旅に出た

 

24時間の出来事だった。誰とも連絡ができない。SNSも見れない。調べごともできない。ただひたすら自分と対話を繰り返す時間だった。

 

スマホなしでは生活できない世の中になっている。四六時中、連絡がとれて当たり前を求められる世の中になっている。目の前の人間、目の前のことから目を背け、スマホに依存する人が増えている。

 

使い方を間違えると大きな弊害を生む。

 

健全な心が育まれず、蝕まれていく。

 

たまにはいいかもしれない。

 

スマホを置いて、スーパーに出かける。

 

スマホを置いて、散歩に出かける。

 

スマホを置いて、旅に出る。