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ゲイの教師が鬱病で休職し、復帰に向けて一歩一歩に全集中。教育/LGBTQ/鬱病/メンタルヘルス/心理学

僕の思う教育観と今の学校教育

僕は小学校の教員をしています。今は鬱病を患って休職中ですが、その原因の一つとして”日本の学校教育”とその現場に疑問を多く抱いてしまったこともあります

 

教育大国!?ニッポン!!

 

日本の教育を世界の順位で見てみると、課題となる読解力を除いてはまぁまぁ上位にいるようです。確かに義務教育という制度もあり、一人ひとりの子どもたちに教育を保証する国の力は持っています。

 

ただ、中高生の自己肯定感に関する調査では、日本は低い水準にあるそうです。テストの点数がどれだけ採れても、自分のことが好きになれなかったら幸せにはなれないですよね。

 

資本主義国ということもあり、自国の経済が世界で通用するよう注力することはよく分かります。日本の子どもたちにも、世界で通用する学力を身に付けて活躍してほしい!!そんな気持ちも分かります。

 

てんやわんや!?日本の学校教育現場

世界で一番多忙と言われている日本の教師。僕が勤めている小学校では、一つ一つの教科や優しいとはいえ、たくさんの教科を担当し、毎日の業務に追われています。

 

そこに降りかかる学習内容の改訂。「英語やりましょー!プログラミングやりましょー!ICT使ってくださーい!やること増えたから時数増やしますねー!」

 

正直、我々からしたら、やったことないことをいきなりやれと注文され、大した研修もなくやってる感じです。減らすことはせずに、増やされてばっかりの現場です。

 

これからを生きる子どもたちが背負っている十字架

お隣の某国は、世界の学力順位がどの分野においても1位です。いーっぱい勉強していますもんね。

 

ただ、日本もそれに近いものを求めているような気がします。学校が終わってから、お弁当を持って塾へ行く子どもたちがどれだけいることでしょう。そこそこの進学校へ行こうと思ったら塾で勉強しないと入れないと言っても過言ではない。

 

それは、「日本の学校教育では限界でーす!」と言っているようなもの。

 

学校は、最低限を保証するものなのか、そこだけで完結できるようにするものなのか。非常に苦しい子ども時代を強いられる世の中になってきたなぁと感じます。

 

みんなで一緒にがんばろう!!

THEニッポン!って感じです。古き良き文化とも言えます。ただこればかりでは、子どもの一人ひとりの個性がなかなか伸びないのも現状です。

 

では僕が個性を尊重できているかといえば、まだまだできてないと言えます。学校にはわりときっちとした規則がありますし、集団美を追求する姿勢は多く見られます。

 

仕方ないのです。みんなそういった教育を受けてきた人が大人になって先生をしているのですから。僕もその一人です。

 

これからの学校教育に求められること

まずは「10年先を見据える」ということでしょう。残念ながら現場にいると日々の業務で精一杯で世の中のことをじっくり見つめる時間がないのが現状です。企業で働いているビジネスマンの方が世の中の動向によっぽど敏感な気がします。学校の教師は世間知らずの塊です。

 

今の状況では、自分が子どもの頃に受けた教育の価値観を繰り返すだけなのかなと思います。

 

変化に富んだ現代。きっとこの10年よりもっと早く、これからの10年が進歩していくことでしょう。

 

僕が教えている子どもたちは、6歳~12歳。10年後、20年後、この子たちが世の中で生きていける教育をしなければという思いはいつも抱いています。

 

現代についていけない学校現場

教育の在り方、働き方、いろいろなことがついていけてないように感じます。もっと言えば、本気で変わろうとしていない。

 

所詮、公務員。能力は大して評価になりません。お給料は普通にもらえます。悪いことをしなければクビになることもありません。

 

全員ではありません。現場には、僕にとって雲の上の存在のような、本当に努力されている方もたくさんいます。

 

マジョリティに流されない現場に

大きく言えば、これが僕の願いです。自分自身がゲイだということもあり、人との違いに悩む子どもには敏感です。

 

僕も知らず知らずのうちに、自分の常識、世間の常識に当てはめがちです。ただ、それに苦しむ人はたくさんいます。

 

資本主義国ニッポン。国の発展のため、世界経済という大きな波に乗るため、数十年後の日本を担う子どもたちを育てる教育にも一生懸命です。

 

そんなことも承知ですが、僕は一人ひとりの精神的な幸福度をもっともっと上げていきたいなと思っています。

 

多様性に富んだ学校教育。ステキじゃぁないですか。