ゆっくりゆっくり

ゲイの教師が鬱病で休職し、復帰に向けて一歩一歩に全集中。教育/LGBTQ/鬱病/メンタルヘルス/心理学

回復と不安の狭間で

うつ病の症状も回復に向かい、プレ出勤を経て6月から復帰しました。

 

人への不安はやや残りつつも、少しずつ少しずつ慣らしている最中です。

 

さて今回は”回復と不安の狭間(はざま)で”ということで、僕の回復状況と不安なことについて

 

回復してきたんじゃない!?

うつ病ってのは、脳の病気とも言われ、病状が目には見えない厄介な病気です。

 

今もレクサプロという抗うつ薬を飲んでいます。

 

毎日必ずと言っていいほど鬱々タイムはありますが、短時間で戻ってこれたり、違うことに気を逸らせたりできるようになってきました。

 

心配や不安を逸らせることが”健康”なことだということを改めて感じました。

 

睡眠は相変わらず薬を飲んでいますが、少しずつ安心して寝れるようになってきていますよ(^-^)

 

そして何より職場に復帰でき、仕事や授業ができるようになったことが一番嬉しいことです!!

 

また2人体制で担任業務をしていますし、僕の仕事なんて全っ然ありませんが・・・またイッチョ前に働きたいですね。。。

 

やっぱり不安やぁぁぁぁぁ

不安なことと言えば・・・

 

you-0303.hatenablog.com

 

この記事でお話させていただいた件が、思ったよりも難しくなってきているということ。

 

3月末に相談したのに、まだ解決に至っていないのです・・・

 

というのも、問題のあった管理職に対しての教育委員会の指導が不十分すぎて、僕が再び異議を申し立ててしまったので。

 

管理職も教育委員会も「うつ病」について理解がなさすぎる。

 

うつ状態うつ病の人がどんな言動になるのかを分かっているのか。

 

当時、苦しかった心の状況を把握せず、突き返し続けた管理職。

 

うつ病」について理解を促す指導をしなかった教育委員会

 

ここまでくると僕がクレーマーのように感じます。

 

こんな自分が大嫌いです。

 

これに加え、同性愛者の弱みにつけこんだ発言もあったので・・・

 

僕の人権が守られていなかったこと、休職をして普段の生活が奪われたこと。

 

不調の原因の全てが管理職とは思っていませんが、今のままでは僕の気持ちが落ち着きません。

 

そして、そんな管理職が束ねていた職場に戻るストレス。

 

異動したとは言え、その管理職の話題が上がると気分が悪くなります。

 

休職前に自分を失って、攻撃的になっていた自分が恥ずかしく、周りの職員への申し訳ない気持ちもたくさんあります。

 

これが、僕の不安です。

 

今回の件は、だいぶ大きくなり、現管理職には伝えてあります。

 

だから不安になればいつでも相談できる状態ではあるのが唯一の安心です。

 

焦らずゆっくりゆっくりペースを取り戻したいと思います。

 

 

 

社会復帰に向けて

前回の投稿から1ヶ月ほどが経過してしまいました。

 

管理職とのいざこざを教育委員会へ訴え、対応をしていただいている最中です。

 

ちょっと複雑なことも含まれており、対応になかなか時間がかかっている様子。

 

でも、泣き寝入りしかできないと諦めていたことを訴え、守ってくれるのではないかと期待はしています。

 

そんな中、少しずつ社会復帰を目指して、プレ出勤を始めています。

 

5ヶ月ぶりに職場へ行き、慣らし運転の真っ只中。

 

正直、人が怖いですし、自分がどこまでできるか分かりません。

 

でも、いつまでも殻に閉じこもっていても仕方がないですし、少しずつ自分に負荷をかけて、調子を見ていくことにしました。

 

「やっぱり怖くて不安だ・・・」と思う日もあれば、

「思ったよりできるやん(^-^)」なんて日もあります。

 

上手に折り合いをつけて”ゆっくりゆっくり”前進できたらなぁと。

 

どうか応援よろしくお願い致します。

人が離れていく病気

年度末になりました。

 

学校でも人事異動があり、大変お世話になった管理職の方も異動になりました。

 

夏過ぎからうつ状態が酷く、管理職にいっぱいっぱい失言や否定の言葉をぶつけていました。

 

その都度、

「気にしすぎや」

「俺がそう思ったらそうや」

「お前直せってことか」

と受け止めてもらえず突き返されました。

 

しまいには、「俺もしんどいねん、分かってくれ」と、こちらのしんどい気持ちを突き返しておきながら、自身のしんどさを分かってもらおうと主張する始末。

 

結果、うつ病になりました。

 

めっちゃ苦しかったです。でも、自分の失礼な言動もあり、一概に相手を責めることできない自責との葛藤でした。

 

休職中、数ヶ月連絡をしませんでしたが、年度末になり、せめて最後だけでもきちんとお礼を言ってお別れできたらと思い連絡をしました。

 

すると、「朝からラインを送ってきて、恐怖を感じる。俺は自分のことを守ることを考えます。」と返信がきました。

 

終わった…と思いました。

 

僕のうつ状態を真っ向から否定し突き放した管理職。最後も僕の執着の被害者ヅラをして終わりました。

 

前年度まで、バリバリ働いていた僕。

 

うつ状態が普段の僕ではないことぐらい分かっているはずなのに。

 

うつ病の「分かってくれ」という執着は、健全な人からしたら「恐怖」に感じるんだなと思いました。

 

うつ状態うつ病に理解がない管理職。

 

ものすごくショックでしたが、残念な気持ちと怒りが残りました。

 

あの管理職が異動し、また同じようにメンタルを病んだ人が辛い思いをすることが我慢なりません。

 

僕と同じ思いをする人が出てきて欲しくありません。

 

僕がうつ状態からうつ病と診断されるまでの管理職の対応について、教育委員会に直接訴えをかけようかなと考えています。

 

うつ病というのは、人が離れていく病気だなと改めて感じました。

何もしないをしてみた

お久しぶりです。

 

長らく更新が滞っていました。

 

いろんなことを考え、思いとどまっていました。

 

結果、「何もしない」をしていました。

 

好きなことだった、料理、山登りに加え、始めたばかりのジム。

 

何かすることをきっぱりやめました。

 

外食やお惣菜に頼り、家でダラダラするだけ。

 

ゼロタスクです。

 

暇でスマホをいじりますが、本当に何もしません。

 

心掛けていた散歩すらしません。

 

「○○しなきゃ」ってのが完全になくなり、「○○したい」になりました。

 

そうすると自然とリラックスするものですね。

 

なんとお昼寝ができました。

 

休職から4ヶ月。

 

ようやくマイナスがゼロになったようです。

 

ゆっくりゆっくり。

 

前進します。

スマホを置いて旅に出た

先日夕方、いろいろなことに思考が行き詰まり、自暴自棄になった。

 

人に会うのも疲れた、家族や相方にいい顔するのも疲れた、SNSやネットの情報に疲れた。

 

一人になりたい。

 

そう思ったのが夕方6時半。涙がこぼれ落ち、途方もない感情に陥っていた。

 

近くに住む母にLINEをした。「スマホを置いて遠出してくる。電話番号は控えているから明日には連絡する。」と。

 

現実から目を背ける自分、まるで反抗期のようだった。次第に大粒になる涙を拭いながらカバンに服を詰める。

 

7時には電車に乗っていた。7時42分の新幹線に乗っていた。そこにスマホはない。

 

行き着いた先は広島。駅前を見渡し、東横インの看板が目に入り、チェックインした。

 

次の日は、駅前の案内板を記憶し、平和記念資料館に行った。

 

ここ最近、「死にたい」というか「消えていなくなりたい」ような感情だった。自分なんていない方がいい。

 

そんな自分が平和記念資料館へ行った。「死」について考えた。

 

原爆によって、なんの罪もない人たちが無差別に殺された悲惨な出来事を目の当たりにし、たくさん涙を流した。

 

原爆の熱風を浴び、全身に火傷を負いながら帰宅した中学生。涙する母。痛く辛い状況でも、母を安心させようと笑顔を見せる中学生。

 

生きるということ。死ぬということ。たくさん考えた。

 

慰霊碑に手を合わせた後、原爆ドームを横目に駅へ戻った。

 

駅前の美容院に入り、髪を切った。駅中でつけ麺を食べた。そして帰路に着いた。

 

本当は、5日、いや一週間は遠出しようかと思っていた。しかし、ここで少し気持ちが落ち着いた。

 

スマホを置いて旅に出た

 

24時間の出来事だった。誰とも連絡ができない。SNSも見れない。調べごともできない。ただひたすら自分と対話を繰り返す時間だった。

 

スマホなしでは生活できない世の中になっている。四六時中、連絡がとれて当たり前を求められる世の中になっている。目の前の人間、目の前のことから目を背け、スマホに依存する人が増えている。

 

使い方を間違えると大きな弊害を生む。

 

健全な心が育まれず、蝕まれていく。

 

たまにはいいかもしれない。

 

スマホを置いて、スーパーに出かける。

 

スマホを置いて、散歩に出かける。

 

スマホを置いて、旅に出る。

ビービー泣きわめいた夜

休職してから3ヶ月、自分の気持ちと向き合いながら、そして折り合いをつけながら過ごしてきました。

 

見方を変えたり、自分の気持ちを受け止めたりして、自分なりに心を落ち着かせてきました。

 

ここ一週間は、どうも調子が良くなく、鬱々した不安や怒りのようなものがずっと頭の中を駆け巡っていました。

 

職場の上司に対する、分かってほしい気持ち、怒りが沸々と沸きでて、今にもLINEを送ってしまいそうな衝動に駆られていました。

 

ごめんね、もう限界

相方にLINEを送って吐き出した第一声でした。

 

上司にLINEをするのはやめた方がいいとの返信の後、すぐに電話がきました。

 

しばらくの沈黙。すすり泣く僕。

 

一つ一つ順を追って、しんどい気持ちを吐き出しました。

 

自分のことを大切に思えない。

 

上司に文句を言うことで、結果自分に返ってきて後悔することも分かっている。でも、いいんだ、自分はそのくらいクソな人間で、自分を傷つけたいんだ、と。

 

相方には、いつも笑いながら「しんどいねんで~」なんて言っていました。でも、分かってくれていないような気がして、でも、困らせたくないから無理して笑っていて。

 

気付けば、薬を大量に飲みたいとか、車で単身事故を起こしたいとか、そんなことを考えるようになっていて、そんくらいしないと自分のしんどさは分かってもらえへんのやと思っていました。

 

ぜーんぶ吐き出しました。

 

全身の痺れを伴いながら、呼吸に苦しみながら、むせ返りながら、嗚咽しながら、今まで出したことのない自分を相方にぶつけました。

 

途中で口を挟むことなく、最後まで静かに聞いてくれました。

 

この数ヶ月間、溜め込み続けた恨み辛み苦しみを感情全開で吐き出しました。

 

みっともないことありゃしない。こんなの初めてです。

 

でも、心のドロドロしたものがストンと落ち、一気に力が抜けました。

 

一夜明け、久々に波風のない心の内。すごく静かです。

 

僕は、ずっとこれができなかった。でも、できた。

 

これを受け止めてくれる相方に出会えたことに感謝です。

 

僕の体調に異変が出始めたころから付き合い始めた彼氏です。何かの運命なのかもしれません。

 

早く元気になって、お返しをしたいなと思います。きっとこの調子でいけば、この先良くなる一方。楽しいこと間違いなしなのではないでしょうか。

 

ビービー泣きわめいた夜。

 

少しでも多くの人が、自分の心の内を思い切り吐き出せますように。そして、少しでも多くの人が、受け止めてくれますように。

 

もっと、気持ちを楽に生きよう。

 

もっと、自分の心を癒してあげよう。

 

また、一歩を踏み出そう。

 

そんなことを思った夜でした。

 

ちょっとした気遣い

今日は素敵なことがありました。

 

ディーラーの担当のお姉さんと同じ誕生日で今日点検に行ったら「明日、誕生日ですよね。おめでとうございます!」と言って、お菓子をプレゼントしていただきました。

 

会社の経費かなぁとか、まぁ自分客やしなとか、そんなことも考えますが、街中に買いに出ないと買えない焼き菓子だったので、何かのついでかもしれないけど、わざわざ買いに行かれたと思うとなんだか嬉しい気持ちになりました。

 

同じ誕生日ということもあったので覚えてくださったんでしょう。同じ誕生日と知りながら、一方的にもらうのは申し訳ないと思い、すぐ買いに行ってお返しをしてきました。

 

明日、令和3年3月3日。32歳の誕生日です。おしい…。

 

思ってもいない、ちょっとした温かい心遣いに心がほっこりしました。

 

昨日から気圧が下がって天候が思わしくなく、調子が良くなかったですが、雨が上がり気圧も上がり、頓服のおかげもあって、気持ちが上向いてきました。

 

ベッドに横になりたい気分ってのは、やっぱり辛いです。でも、重い体を引きずって少し行動してみると、思わぬ幸せな出来事に出会ったりするものです。

 

やってみたら楽しかった。

 

やってみたら元気が出た。

 

やってみたら上手くいった。

 

こんな経験あるでしょう。行動活性化療法とも言えるのでしょうか。

 

正直なところ、元気になろうとか前向きになろうとか、そんな気持ちで過ごすことが少ししんどくなってきていました。

 

ゆっくりゆっくり。今の自分の気持ちを癒しながら過ごしたいと思います。